小川より

証拠の厳密性

 どこそこの大学の先生が書いた論文が、 実は資料の改竄や捏造であったという記事がよく新聞に出る。それらのほとんどが理系の論文で、「シマウタ研究にそんなことは無縁のことでしょう」といわれそうであるが、どんな研究とはいえ、他人の文献や、実際に見聞きした資料の使い方というのは厳密にやらないといけないのである。
 私自身にも、反省しなければならないことは山ほどある。
 シマウタをはじめ民俗研究では、ある話を耳にした時には、大した話とは思わなかったものが、あとで重要な意味を持っていることに気づく場合が多い。
 例えば、奄美の歌の裏声は、男性が、女性の歌う高いピッチ(音高)に合わせるために、裏声を使わざるを得なかった、と私は考えているが、その証拠の一つとして、裏声を「逃げ声」だという人がいたことを挙げてきた。ところが、それを誰がいったのかといわれると、何十年も昔、よくお世話になった唄者の福島幸義さん(武下和平さんの先生)だった、というおぼろげな記憶だけで、何年何月何日、どういう場で聞いたことをはっきさせよ、といわれればお手上げである。理系の論文ではきっと認められないと思う。
 ついでながら、私がこの「裏声=逃げ声」説に自信を深めたのは、昭和47,8年のことだ。思うに、そのころ奄美によく来られていた小島美子先生(日本音楽研究家)とおしゃべりをしていた結果である。このとき、小島先生の方が私に大きなサジェスチョンを与えてくれたことも大いにあり得、とすれば、私のオリジナルな考えとはいえなくなる。そんなところも曖昧である。
 文系の論文の場合、総じて逃げ場が用意され、「・・と推定する」とか、「・・と思考される」という表現が許されるので、それに甘えて、資料の扱いの厳しさに欠ける、といわれればこれを否定できない。せめて、少しでも耳に触った話は、記録しておくことが必要だったと、この歳になって思うことだ。(2012・5・26)

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Last-modified: 2012-05-29 (火) 16:27:31 (3473d)