小川より

島唄と50年

 昨年、私はあるきっかけから、はじめて奄美の唄に出会ってから50年になることに気づきました。昭和36(1961)年10月、文部省芸術祭執行委員会が主催する全国民俗芸能大会に、奄美大島の島唄と笠利町佐仁の八月踊りの皆さんが出演したのを、私は一学生として観て聴いていたのです。その会場は、日本青年館でした。2011から1961を引いて、ちょうど50年たっていました。
 私の今の正直な思いは、50年間、奄美民謡を研究してきた、というより、唄や唄を伝承する人たち、さらには唄好きの人たちと一緒に、何か知らないけれど唄のさばくりをあれこれやって来たという感じです。客観性を何よりも大切にする研究者という立場からみると、私のやり方はいささか不純です。何より、私自身、唄の変化にいささかの関与をしてきましたから、研究上のマッチポンプ(自分で火を付けて消す)的存在ともいえます。   しかし、私自身はこのことを後悔していません。それどころか、我が人生にかかるチャンスを与えてくれた神様に感謝しているくらいです。
 こんな研究者が一人くらいいてもよいのではないか。いささか開き直りをするなら、私が唄の変化に関わってきたとはいえ、奄美民謡がある必然に従って変容してきたことは確かです。その変化、変容の生き証人の1人となれることが、私には有り難くて仕方ありません。
 変化の例を1つだけあげて今回は終わります。私が奄美に渡り、実際的に唄と付き合い始めたのは東京オリンピックの年(昭和39年)です。島唄は今のように、島の宝、価値ある唄と思っている人は、もちろんいましたが、そんなに多くはいませんでした。それが今はどうか。もう説明は必要ないと思います。(2012年4月6日)

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Last-modified: 2012-04-07 (土) 16:46:53 (3525d)