奄美の島唄

俊良主節

 民謡の研究は正にラッキョの皮はぎに似ている。民謡というものは近代音楽とは違って、ある特定の人によって、一夜にして作られたというケースはまずない。必ずといってよいほど、そのもととなった曲があって、それに新しい歌詞が付き、その歌詞の方が有名となってそれが新しい曲名となって一人だちしていくというのが大体の姿なのである。
 民謡研究の一つは、今ある歌の表皮をはぎ、その古形を探ることにある。したがってその皮をはいでいくと、仕事歌がでてきたり、子守唄があらわれたりまたヤマトからの、はやり歌がひょっこり顔をだしたりするのである。
 現在の「俊良主節」も、いろいろな変遷を経て来たと分る歌の一つである。
 「俊良主節」としてのもと歌は
○泣くな嘆くな伊津部(いちぶ)俊良主(しゅんじょしゅ) ()(とじ)ぬみの加那志 運命(つもり)ありょてど 苦潮水(にがうしゆ)召上(みしょ)
 (無くな嘆くな伊津部の俊良様、あなたの奥さんのミノ加那も、天の定めで、海で苦潮を飲んでなくなられたのですから。)

※築地
※「伊津部」を「金久ぬ」とうたう所も多い。

というもので、名瀬のユカリッチュ、基俊良主(後には代議士ともなった)が、新婚間もない愛妻を海で失い、人々がそれを慰める歌となっている。弘化年間のことという。
 この歌の原曲は「ふなぐら節」といわれ、大熊の「きよたみ」という役人と、名瀬の「あい加那」との恋をうたった次の文句が、そのもと歌だったという。
○ふなぐら道くゎや、あい加那されれ 通よていもらんな きよたみ掟衆
 (ふなぐら道はあい加那がさらえ、通っていらっしゃいませんか、きよたみ掟衆)
 この歌詞も、実はこれ専用のものとはいえず、地名と人の名がかわっただけのものが各地に跡が強く、その線をたどっていくと「俊良主節」も、もとは一労働歌ではなかったかという感じがする。
 ところで、この歌にはもう一つ、おもしろいエピソードが伝えられている。これは郷土史家の亀井勝信氏がつぶさに調べられたものであるが、この歌が有名になった後、いろいろな人が俊良主の前でうたったそうなのである。ところが、うたわれる当の本人はこれを好まず、うたおうとする人に当時の銀貨(銀ドロ)を与えて自分の前ではうたってくれるなと頼んだものであった。しかし皮肉なことにそれが、かえって有名になり、一時は「銀ドロ節」といわれる時代もあったほどで、今でも「俊良主節」というよりは「銀ドロ節」といった方が、はるかに通りのよい所がある。

<参考>
 この歌のうたい方。
 /~ケーイなくなィなげくなィ いちぶぬィしゅんじょしゅィヨーヤイリー
  なとじぬヨーイ(ナトジヌヨーイヌ)みのかなし
  ヤイリーヨハレヨーイヨーイー(スラヌヨイヨーイ)
  つもりありょててど にうしゅみしょィし ヨーヤイリー
  なとじぬィ(ナチカシミコエヌ ナマドイジティ)みのかなし
  ヤイリーヨハレヨーイヨーイ(カサネテヨイヨイー)
  つもりありょてど にがうしゅみしょィし ヨーヤイリー ナロヨイ シロイー

※築地
トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-03-04 (日) 17:36:30 (3484d)