奄美における本土系民謡

小川学夫
地域・人間・科学
2009年3月 第12・13号抜刷
鹿児島純心女子短期大学
江角学びの交流センター

奄美における本土系民謡
Folk Songs from Mainland Japan in Amami lslands
キーワード:奄美民謡,八月踊り,遊び唄,しまうた
小川学夫

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[要約]
 奄美諸島の民謡のなかで,かつて本土から移入された歌を本土系民謡と呼ぶことにする。伝承の過程において,音楽面,詞章面で多かれ少なかれ奄美化して,なかには想像もできないくらいに変化したものも少なくはない。本稿では,行事に伴う歌,遊び歌のなかから,曲名,歌詞,歌唱形式,ハヤシコトバ,歌の背景等の比較を通して,本土系民謡であることを特定した。その結果,曲名や歌詞などで本土系と分かるものもある反面,ハヤシコトバや詞形だけに頼るものもあった。いずれにせよ,奄美民謡が本土の影響を強く受けていて,無視できないことが明らかになった。

[目次]

[本文]

はじめに(凡例を含む)

 奄美諸島に伝わる民謡の系譜を探っていくと,何時の時代か本土から直接的に,あるいは沖縄経由で渡来して,世代を経るうちに奄美独自の唄になったものが少なくないことが分かる。なかには,島の人々がそのことを知っているものと,そうと気付かないもの,また研究者としてもはっきりした証拠がつかめず推定に過ぎないものも存在する。  私は,個々の歌については,これまで折々にこの点を問題にしてきた*1が,その全体を整理し発表したことはなかった。本稿では,推定曲も含めて何曲かをあげ,本土系民謡である根拠を示したいと思う。
 ただし今回,民謡(広義)*2のなかでも,童歌*3や諸鈍芝居,与論十五夜踊り,沖永艮部の遊び踊り,各地の棒踊り,竿打ち踊り等で歌われるいわゆる芸謡の類*4,そして神歌や口説類の長詞形叙事歌*5は除くこととした。
 そこで先ず,個々の曲目検討に入る前に,本土系とみなすための研究手法について述べておきたい。私には,以下の方法が有効と考えられ,それを採用した。

a.曲名の比較
b.歌詞(歌詞の内容そのものと,詞形も含む)の比較
c.ハヤシコトバの比較
d.歌唱形式(歌詞反復,ハヤシコトバの入る位置など)の比較
e.歌の背景,歌についての口碑の吟味

 ここには「音楽的要素の比較」がすっぽりと抜け落ちている。これこそ最も重要ではないかという声が聞こえてきそうである。しかし,曲調というのは歌の移動,時の経過に応じて最も変化しやすい,というのが私のこれまでの研究から得た実感であり,かつ私自身に音楽研究の素養がないことも確かであって,この面ははずすこととした。ただし,歌の継承者らが,音楽的繋がりをいうときにはそれを尊重した。
 以下,行事の歌,遊びの歌に分けて,本土系とみなされる歌を検討してみる。

〈凡例〉
1.民謡詞章(歌詞,歌詞反復,ハヤシコトバ)は,全て下記文献よりとった。〈 〉 は本稿で示した略語である。
 「南日本民謡曲集」(久保けんお箸,音楽之友社発行,1950年)本書の頁は歌詞を紹介した部分(縦組)と楽譜の部分(横組)とは分かれているので,楽譜から引用したもののみ「楽譜*頁」と表記した。〈久保〉
 「宇検村湯湾地区の民謡」(鹿児島民俗学会発行「民俗研究第5号」1970年所収)〈小川a〉
 「奄美民謡誌」(小川学夫著,法政大学出版局発行,1979年)〈小川b〉
 「南島歌謡大成 V奄美篇」(田畑英勝ほか編,角川書店発行,1979年)〈大成〉
 「日本民謡大観 九州篇(南部)・北海道篇」(日本放送協会,日本放送出版協会発行,1980年)〈大観(九州)〉
 「奄美民謡とその周辺」(内田るり子箸,雄山閣発行,1983年)〈内田〉
 「日本民謡大事典」(浅野建二編,雄山閣発行,1983年)〈民謡辞典〉
 「琉球芸能事典」(當間一郎監修,那覇出版社発行,1992年)〈琉球事典〉
 「日本民謡大観(沖縄・奄美)奄美諸島篇」(日本放送協会編,日本放送出版協会発行,1993年)〈大観(奄美)〉
2.文献より詞章引用にあたっては,奄美の場合,歌詞部分をひらがなで,ハヤシコトバをカタカナで表記し,相方ハヤシ(掛け合いの場合,相手方が歌うハヤシ)を()でくくった。楽譜から詞章をとる場合,引っ張る音はそれを省略したものもある。本土,ないし沖縄の詞章は,原文通りとした。改行は全て筆者が変更した。
3.共通語訳は,詞章の右側に筆者が行った。
4.本稿に奄美大島という場合,加計呂麻島,与路島,請島を含めた。()内に,奄,喜,徳,沖、与としたのは,それぞれ奄美大島,喜界島,徳之島,沖永良部局,与論島の略である。

1.行事の歌

(1)八月踊りの「おろしよめでたい」(奄),「さんだまけまけ」(奄),「うんだりまけ」(喜),夏目踊りの「五尺手拭」(徳)など

 奄美大島,喜界島,徳之島に,八月踊り,ないし七月踊り,夏目踊り,浜踊りなど称する集団歌舞がある。沖縄も含めた南島では,旧暦7月,8月が1年の折り目とみなされた時期であり,いろいろな祭り日が集中する*6。そこで欠かせないのがこの踊りである*7
 そのなかに「ヤイキョラサ」系統のハヤシコトバを持つ歌が奄美大島,喜界島,徳之島の各地に散在する。
(1)「おろしよめでたい」(奄美大島・宇検村湯湾)〈小川a 180頁〉

おろしょめでたい
わかまつさまよ
ゆだもさかえる
はもしげる
ヤイギョラサ ヤイギョラサラサノ
ヤイギョラ
チョーシヤサンシェ

おろしょ(嬉しいの意か)めでたい
若松様よ
枝も栄える
葉も茂る

(2)「さんだまけまけ」(奄美大島・奄美市笠利町佐仁)〈内田 153頁〉

さんだまけまけ
どこたねおろし
おろしそだてて
やせさかな
ヤィキョラサノサッサ

三度撒け撒け
大根種下ろせ
下ろし育てて
野菜肴

(3)「うんだりまけ」(喜界島・喜界町荒木)〈大成 417頁〉

うんだりまけまけ
でくれぃだーハねぃヨーのろち
ハレよのオちソーなてれば
ヨイコレサ ヨイコレサノ ハレホノ

うんだり(意不詳)撒け撒け
大根種下ろせ
よのち(意不詳)育てれば
やらちさ−かなやらち(意不詳)肴

(4)「五尺手拭」(徳之島・徳之島町井之川)〈大観 291頁〉

ぐしやくとうぬげえに
はなじゆみいしゆみてゐ マッタイナ
(ハーヨイヨイ)
むじよにかんぱしよか
わんがかんぱしよか
ヤイギョラサヌ ヤイギョラサ

五尺手拭に
花染め染めて

愛人に被させようか
私が被ろうか

 奄美民謡の場合,最初に歌われる歌詞の頭部分を曲名としていることが圧倒的に多いので,曲名と歌詞とは密接に繋がっている。
 (1)の「おろしよめでたい」の場合,本土民謡の基本的な歌詞として全国で歌われる

嬉しゅ目出度の若松様よ枝も栄ゆる葉も繁る〈大観(九州) 308頁〉

の奄美化したものであることは明らかである。
 (2)「さんどまけまけ」と(3)「うんだりまけ」の歌詞については,私は本土民謡に見出し得ていないが,この2つは頬似している。詞形的には,「さんだまけまけ」は7775調のいわゆる近世小唄調で,本土の影響を考えざるを得ない。「うんだり)まけ」は8886調(琉歌調)になっている。その変化の様は興味深い。
 「五尺手拭〜」の歌詞は,わが国近世の歌本『落葉集』などに類歌が出ていて知られたものである。〈事典194頁〉
 「五尺手拭節」[五尺節」という名の歌も全国にかなりの数存在する。
 なお,ハヤシコトバについてであるが,そのなかの「キョラサ」または「ギョラサ」は,奄美では「きれいな」という意味の方言である。私は,本土民謡のなかには見出していないが,別のハヤシコトバを持った唄が入ってきて.いつか奄美化したものであると考えている。
 なかで,「うんだりまけ」はこのコトバが欠落しているが,「ヤイキョラサ」は容易に「ヨイコレサ」に変化し得るし,または「ヨイコレサ」から「ヤイキョラサ」になっていったと考えることも可能である。
 このほかに,同系統の歌として,「一合二合」といわれる曲があげられる。歌詞は詞形的に不定形だが,ハヤシコトバが一致する。

(2)八月踊りの「今の踊り」(奄)

 曲名,歌詞の上から,明らかに本土系でありながら,(1)にあげた曲とはハヤシコトバが異なるものがある。
「今の踊り」(奄美市名瀬根瀬部)〈大成349頁〉

いまのをどりこや
をどりこがチョーイトそろた
(ソラヨイヨイ)
をどりならえばハレ ハーイヤ チョーイト
いまならえ
アレコレチョーイ セー

はちぐわちぬせちや
よりもどりエもどり
(ソラヨイヨイ)
かながどしわどし
よらすしのき
アレコレチョーイ セー

今の踊りは
踊り子が揃った

踊り習えば
今習え


八月の節(折り目)は
寄り戻り,戻り

加那(恋人)の歳,私の歳が
寄っていくのが辛気

 1番の歌詞は,8875調という変則であるが,言葉自体が共通語であり,7775調歌詞の奄美化したものといえよう。2番は全くの奄美方言による8886調歌詞である。しかし,曲名と打ち出しの歌詞から本土系とみなすことが可能である。

(3)八月踊りの「おろしよめでたや」(奄)

 (1)で扱った歌と,曲名,歌詞が類似していながら全く別の歌唱形式を持つ歌である。
「おろしよめでたや」(奄美市笠利町佐仁)〈内田156頁〉

おろしよめでたや
わかまつさまよ
えだもさかえる
はもしげる
さかえるえだも
えだもさかえる
はもしげる

おろしよ(意不詳)めでたい
若松様よ
枝も栄える
葉も茂る
(3句目逆さ反復)
(3句目反復)
(4句目反復)

 いわゆる「めでためでた」系の歌詞を,複雑な反復形を持って歌われている。なかでも5行目の「さかえる.えだも」は「えだも.さかえる」を逆さにした特異なものである。この歌われ方は本土の「投げ節」*8などと同じであり,その影響は看過できない。

(4)八月踊りの「ふどき(ロ説)」(奄・喜)

 この歌は,多く独立して歌うことは少なく,踊りのテンポを速めるために,ある歌の途中からこの歌に変わることが多い。
「ふどき」(奄美大島・奄美市名瀬根瀬部)〈大成359頁〉

ってちつた一ちみ一ちゆ一ち一
い_ちちも−ち
な−な−ち−やちくんじゅ
こうぬ_ちとう
ってちつた−ちみ一ちゆ_ちー
い−ちちも_ち

にわぬいしがき
かねなりゆり
はまぬしるじな
こうめなりゅり
うきぬくるうしゅ
さけなりゅり

一つ二つ三つ四つ
五つ六つ
ゅ七つ八つ九十

一つ二つ三つ四つ
五つ六つ

庭の石垣
金に成る
浜の白砂
米に成る
沖の黒潮
酒になる

 1,2番のいずれも757575調に近いものである。コトバも奄美方言はほとんど混じっていない。このことからも本土系であることは確かだが,沖繩や奄美でも徳之島に多く伝わる「口説」が本来,本土のものであるというのが定説である*9。ちなみに,島の多くの人たちもこの歌の節回しが,沖縄の口説の節と似ていることには気付いているようである。

(5)八月踊りの「ホーエラエー」(奄)

 この歌はハヤシコトバだけを繰り返す歌で,諸鈍芝居の楽屋入り*10のときに歌われる歌と同じである。

「ホーエラエー」(奄美大島・瀬戸内町諸鈍)〈大観(奄美)274頁>
ヤーホーエラエーヨイヤサノサ
ヤッサガエーヨイヤサノサ

 八月踊りで昔から歌われていたというより,諸鈍芝居から取ってきた歌だと考えられる。他には見当たらないからである。
 本土に,これと類似のハヤシコトバをもつ歌がある。

「貝殻節」(鳥取県)〈事典 123頁〉

何の因果で
貝殻漕ぎ習うた
カワイヤノーカワイヤノー
色は黒うなる
身はやせる
ヤサホーエーヤ
ホーエヤエーエ ヨイヤサノサッサ
ヤンサノエーエ ヨイヤサノサッサ

 この最後の方のハヤシコトバは,海の仕事歌に相応しいものである。何時の時代か,奄美にもそれが入って,先ず諸鈍芝居に取り入れられ,そして八月踊りの1種目になったものと推定される。

(6)八月踊りの「忠臣蔵」(喜)

「忠臣蔵」(喜界島)〈久保 楽譜120頁〉

ひとつとのえ
ひとりのおやなんに
そだてられ
おやのこうこう
せんにゃならぬ
さがそうかいな

一つとのえ
一人の親に
育てられ
親の孝行
せねばならぬ
捜そうかいな

「数え歌」(鹿児島本土・姶良)〈久保 楽譜70頁〉

オヤひとつとのよのオーエ
ひとのよめごに
なるときはわ
じゅぶんわがみを
たしなむが
かんようかいな

一つとのよの
二人の嫁御に
なるときは
自分我が身を
嗜むが
肝要かいな

(7)八月踊りの「祝い付け」系統曲目(奄)

 この歌を八月歌の最後においたのは,本土系と断定するのに根拠が明確ではなく,推定の部分が濃厚だからである。
 「祝いを付ける」という意味からも分かるように,奄美大島の八月踊りのなかではもっとも儀礼的な歌である。曲名は,地域によって「祝おえ」「あらしやげ」「しようししゃれ」「誇らしや」「宮踊り」などなどと多様で,かつその歌詞も様々であるが,歌唱形式の上で一致点がある。
 2種例示する。
(1)「祝い付け」(奄美市笠利町佐仁)〈大観(奄美)174頁〉

にわぬしよ−じしちゅてぃ
わぬまちゆるゆるや
ハレやしょらやしょらしちゆてぃ
よわておせろ ヨンドー
ハレやしょらしょらしちゅ
(へエヤリャオエオセ)
ハレやしよりやしょらしちゆてい
よわてぃおせるヨンドー

庭の掃除をして
私を待つ夜は
やしょらやしよら(意不詳)して
祝ってあげよう
(3句目反復)

(3句目反復)
(4句目反復)

�「ほこらしや」(奄美大島・宇検村湯湾)<小川a 182頁>

うたいやまじゃしやアレ
ちぎからどやゆる
わうたやまじゃしや
いれこまじりヨンーノーオセ
わうたやまじゃしや
(ヘーオセオセ)
わうたやまじゃしや
いれこまじりヨンノー

歌ので出しは
地元からやる
私ので出しは
入り混じり
(3句目反復)

(3句目反復)
(4句目反復)

 (1)(2)も,曲名も歌詞も奄美のコトバで,これだけでは本土系ということはできない。問題とすべきは,下の句反復とハヤシコトバ「ヨンドー」ないし「ヨンノー」である。
 奄美の民謡で,下の句を反復して歌う曲はきわめて多い。なぜ,下の句反復をするのかといえば,それは念を押すことが主な役割である。奄美では,かつて複数の人たちが歌を掛け合う,いわゆる歌問答が盛んであった。そのためには,しょっちゅう歌詞を繰り返して相手方に分からせるとともに,相手に歌詞を考えさせる余裕を与えることが必要だったのである。
 しかし,この「祝い付け」系統の歌をみるとき,3句目を

ハレやしよらしよらしちゆてぃ
ハレやしょらしょらしちゆてぃ

のように2度も反復していることに注目しなければならない。(1)の歌についても,間に相手方のハヤシがあるが同様の歌詞反復がみられる。
 この形のものは,この系統の歌にしかないきわめて稀なケースである。ただ相手に,念を押すためだけの反復ではないことが分かるのである。なぜ,このような複雑な反復をするのか。ここで,考えられることは,本論,(3)の「おろしよめでたや」でみた3句目の反復のされ方である。

さかえる・えだも
えだも・さかえる

 繰り返すことになるが,最初は「えだもさかえる」の句をひっくり返したものである。この形は,本土である時期盛行したことがはっきりしている。
 私はここで,「祝い付け」系統の歌も,最初は3句目を繰り返すとき,ひっくり返して歌っていたのではないかと推定する。そうすれば,2度まで繰り返すことに納得がいくからである。しかし,何度も歌ううちに逆さにすることを忘れ,2度そのままに繰り返すだけになった,というものである。
 ここで,本土から入ってきた歌をあえて特定するならば,すでに(3)でもふれたが,明暦から元禄,享保にかけて日本中に流行したという「投げ節」である〈事典 368頁〉。

松の葉ごしの
磯辺のナ月は
千歳経るともナ
かわるまいヤン
経るともナ千歳
千歳経るとも
かわるまいヤン

 ここで「祝い付け」系統の歌に付きものの「ヨンナー」「ヨンゾー」といったハヤシコトバと「投げ節」の「ヤン」というコトバの関連を考える必要がある。
 「ヤン」から「ヨン」への変化はそれほど無理をしなくとも起こり得るのではないか,というのが私の現時点での結論である。
 歌詞反復のことはさし終えて,「ヨンナー」系のハヤシコトバを持つ歌を奄美,沖縄の歌のなかから探して,「奄美,沖縄におけるヨンナ系ハヤシ詞の歌謡」という論文を発表したことがある。沖縄の「かじやで風」,「花風節」,八重山のまき踊りの歌をはじめ,奄美大島の「道払れ節」,徳之島の夏目踊りの歌「あったら七月」,正月歌などなど次々重要な歌があがってきた。これらの歌が,どこかで繋がっていたことは確かだと思う。
 私のこの説は誰の検証も批判もないままに今日に到っているが,厳しい批判も含めて諸家の意見を待っているところである。

(8)餅貰い行事の「ドンドン節」(奄・喜・徳)

 奄美大島,喜界島,徳之島では集落によって違うが,稲の種籾を水に渡ける日,種籾を蒔く日,米収穂後の吉日などに,主に子どもや若者たちが,各戸を訪問して餅を貰って歩く行事がある*11
 このとき家に道々と門口で歌われるのが「餅貰い歌」とか「餅たぽれ」といわれるものである。曲種はいくつがあるが,ほとんどが「ドンドン節」であるといって間違いない。
「餅給れ」(徳之島・伊仙町犬田布)〈大観(奄美)321頁〉

むちたぼりぃたぼりぃ
だぐたぼりぃたぼりぃ
たぼらだてゐからや
てがらせりゅんど
ハラドンドンサマイトサンセ
ア ドッコイ

やまとぅどんどんぶし
やまとぅからはやてゐヨー
やがてゐとぅくぬしまに
うちはやるナ
(ハヤシコトバ前に同じ)

餅を下さい,下さい
団子を下さい,下さい
呉れないからといって
手柄にはなりません



やまと(本土)のどんどん節
やまとから流行って
やがて徳之島に
うち流行る

 歌詞は8886調で本土の7775調ではないが,「ハラドンドンサマイトサンセ」のハヤシコトバが,本土各地に伝わる「ドンドン節」と繋がる。
 そして2番目の歌詞が,しっかり本土からはやってきた歌であることをいっている。
 ここに本土の「ドンドン節」を挙げる。

「どけ蹄」(鹿児島本土・霧島市東国分)〈久保 楽譜33頁〉

たかいやまから
オーたにそこみればナ
うりやなすびの
オはなざかりナー
アラドンドンドン コラドンドンドン
ハラドーサンセ

高い山から
谷底見れば
瓜や茄子の
花盛り

 また,大正3年刊行の文部省文芸委員会編の「俚謡集」〈民謡事典 302頁〉には,鹿児島県熊毛郡の歌として,

あ‐どんどんどんぶしや
道琉球にはやりな−
こんだ本琉球の
道までもなー
アレハドンドンドン

が載っている。この「道琉球」とは,「道の島」すなわち奄美諸島を指すと思われ,先の歌詞と結びつくものであろう。
 もう一点,細かなことだが,留意すべきことがある。
 「餅給れ」の「うちはやるナー」,「どけ踊り」の「みればナー」「はなざかりナー」,「俚謡集」の「はやりな−」の「ナー」が,歌詞の一部ではなく,歌詞にプラスされたものだということである。奄美でも本土でも,この「ナー」をもっと頻繁に加えて歌う地域があり,私は全国の「ドンドン節」に共通な現象だと思っている。
 なお,奄美の「ドンドン節」は,餅貰いだけの歌ではなく,八月踊りにも,沖永良部の「遊び踊り」といわれる芸能にも,子どもの遊びなどにも広く用いられている。ただ,餅貰い行事と最も繋がりが深い歌であるという印象は強い。

2.遊び歌

 遊び歌というのは,特別な目的がなくても,楽しみのために歌われる歌のことである。奄美でシマウタといわれものがそれで,普通,歌遊びといわれる場で,サンセン(三味線)を伴奏に歌われる。かつては,即興的な歌掛け(歌問答)がなされたものであるが,今その力は急速に失われつつある。

(1)「六調」(奄・喜・徳)

 「六調」は歌ったり聞いて楽しむための歌というより,手踊りの伴奏曲といったほうがよい。その賑やかな踊りは奄美の歌遊びや祝いの席では欠かせないものである。なお,この歌の伴奏楽器は三味線と島の伝統的な太鼓(チジンといわれる)*12であるが,打ち方は本土風である。
 1人が太鼓を両手で持ち,1人がそれを2本の撥で打つ。八月踊りのように,−人の人が片方の腕で持ちながら,片方の手で打つのとは大きな違いである。

「六調」(奄美大島.奄美市笠利IHI宇宿)〈大観506頁〉

もろたもろたよ
かにざともろたかに
うりぃがおれいば
なにがすうろ
ヨイヤネー

めでためでたの
わかまつさまよ
えだもさかえる
はもしげる
ヨイヤネー

貰った貰った
砂糖(飴状になった砂糖)貰った
それのお礼は
何にしよう



めでためでたの
若松様よ
枝も栄える
葉も茂る

 曲名は,土地によって「どくちよう」などと訛るところもあるが,「ろくちょう」が標準的な呼び名で,本土に広く伝わる「六調」「六調子」に繋がることはいうまでもない*13
 歌詞は,上にあげた最初は奄美方言で歌われているが,7775調である。後は,既出の本土民謡の代表的歌詞そのものであることは繰り返すまでもない。
 「ヨイヤネー」というハヤシコトバも,この歌の系譜を探るには重要である。
 鹿児島本土,宮崎,熊本でも「六調子」は盛んに歌われるが,祝い歌として莊厳に歌われるものと,踊り歌としていくぶん賑やかに歌われるものとがある。詞形やハヤシコトバは変わるものではない。
 踊り歌としての次の唄を例示する。

「球磨六調子」(熊本本土・人吉町)〈大観 104頁〉
球磨で名所は
青井さんの御門
前は蓮池
桜馬場
ヨイヤネー

 奄美の「六調」と,曲名,詞形,ハヤシコトバがほとんど一致していて,本土系であることは疑いない。

(2)「天草」(奄・喜・徳)

 奄美では全体に,「六調」と組をなしている,という意識がある。「六調」に比べてテンポがゆったりとしており,踊りも難しいといわれるが,「六調」の後に出てくるのが一般的だからである

「天草」(喜界島)〈久保 楽譜115頁〉

ここのざしきわ
いわいのざしき
ここにはなさす
オハラサー
きわよかろ

たてばしゃくやく
すわればぼたんヨ
あゆむすがたわ
オハラハー
ゆりのはな

ここの座敷は
祝いの座救
ここに花さす

きわよかろ(意不詳)

立てば苛薬
座れば牡丹
歩む姿は

百合の花

 歌詞は2首とも7775調であり,特に後のものは本土民謡でよく歌われているものである。
 ここで問題にすべきは,「オハラハー」というハヤシコトバである。ここで今日,鹿児島民謡の代表曲とされる「鹿児島オハラ節」との関連が考えられる。

「鹿児島小原良節」(鹿児島本土・鹿児島市)〈大観(九州)336頁〉 花は霧島
煙草は国分
燃えて上がるは
オハラハー
桜島

 3句目と4句目の間に入る「オハラハー」というハヤシコトバは,この曲名の由来を語っているが,その流れを辿っていけば,「越中おわら節」や「津軽おはら節」などとも々系譜を持つこととなる。
 また,『日本民謡大観九州篇(南部)・北海道篇』のなかの挿入記事「姓がヤッサでオハラは名前」〈339〜341頁〉によると,この歌は最初の頃は「天草」と呼ばれ,次に「ヤッサ節」となり,そして「オハラ節」が一般的になったとある。とすれば,奄美の「天草」も古いものということになろう。

(3)「糸繰り節」(奄)

 かつて奄美大島の名瀬に藩営の糸取り所があり,そこでよく歌われたといわれている*14。今も,割合簡単に歌うことができるところから人気曲の1つになっている。

「糸繰り節」(奄美大島・瀬戸内町網野子/大和村金久)〈大観(奄美)561頁>

しわじゃしわじゃヨ
いとくりしわじゃなーイ
いといきりぃりぃばスラヤヌヤー
しわむぬめぇ
トゥクヤヌスラヤーヌ
バイドゥガジュイジュイ

いとやきりぃりぃば
ちぃなぎむなゆり
えんぬきりぃりぃばスラヤヌヤー
むすばりぃゆみぃ
トゥクヤヌスラヤーヌバイドゥガジュイジュイ

世話(心配するの意)だ世話だ
糸繰りは世話だ
糸が切れれば
世話物憂



糸は切れれば
繋ぎはできる
縁の切れれば
結ばれようか

 歌詞は全体,奄美方言で歌われているが,1首目が6875調,2首目が7775調(「りぃゆ」はl音で発音される傾向がある)で,伝統的な8885調ではなく7775調に傾いている。本土の影響を考えざるを得ない。
 さらに「糸くり節」で,

しわじゃしわじゃ
うぎきりしわじゃ
をぅぎいたかぎり
ふだはきゆり

世話だ世話だ
うぎ(砂糖黍)切りは世話だ
うぎの高切り
札(罰札)を穿くことになる

〈大成461頁〉

のようなうぎ(砂糖黍)刈りの歌詞がよく歌われ,「うぎ切り節」という所もあると聞く。糸といい,砂糖黍といい,薩摩藩と深い関わりがあった産物であり,本土から下った奨励歌があったとしても不思議ではない。
 「糸繰り節」独特の長いハヤシコトバについては,諸説あるが,今日意味が不詳になっている。本土民謡には類似のものがあるかどうか,確かめられていない。

(4)「シュンカネ節」(奄・徳)

 奄美大島の全域と,徳之島の一部に伝わる歌。「シュンカネ節」という曲名はハヤシコトバから付けられたものである。本土系だと考えられる根拠も,「シュンカネ」というハヤシコトバにある。

「シュンカネ節」(奄美大島・奄美市笠利町用)〈大観(奄美)491頁〉

しゅんかにぃぐゎィヤレーイふしや ヨーイ
わがこなしぃうぃかば
(ヤッサノヨイヨイー)
さむしぇんぐゎイむちぃいもれぇヨー
てぇけえてゐゐっせろ
サーイサイー シュンカネグヮイ
さむしぇんむィちぃいもれぇヨー
てぇけぇてゐゐっせろ
サーイサイー シユンカネグヮイ

しゅんかにぐゎ(接尾語)の節は
私がこなしておくから

三味線を持っておいで
付けてあげましょう

(3句目反復)
(4句目反復)

 8886調歌詞の下の句が反復されて歌われている。歌詞も奄美方言であり,この面から本土系であるということはできない。
 問題の「シュンカネ」というハヤシコトバであるが,沖縄に「シュンカニ」「スンカニ」,本土各地には「ションガ」「ションカエ」「ションガエ」「ションガイ」などといった類似のハヤシコトバをもつ歌が広く伝えられていて,それらは無関係とは思われない。

「シュンカニ節」(沖縄県八重山)〈琉球事典 716頁〉
暇乞いとうむてい
待ちやる盃や

目涙泡盛(あわむ)らち
飲みやならぬ
ンドウナムヌヨ ハリ ションカネヨ

「ションガ節」(鹿児島本土・鹿児島市谷山中塩屋)〈大観(九州)301頁〉
しょんが節なら
塩屋がもとよ
東塩谷が
元のもとヨ
ヤションガオ

「さんさ時雨」(岩手県)〈民謡琳典239頁〉
さんさ時雨か
菅野の雨か
音もせで来て
濡れかかる
ションガイナー

 「ションカネ節」は歌詞は沖繩方言で,詞形は8886調(初句のみ字足らず7音)でこれでけでは本土系とはいえない。
 「ションガ節」「さんさ時雨」の歌詞は7775調である。
 柳田國男は『民謡覚書」(ちくま文庫版「柳田國男全集18」55頁)*15のなかで,ハヤシコトバの「ションガエナ」が,船人によって南は沖縄の与那国,北は奥州の「さんさ時雨」までもたらされたと記しているが卓見である。奄美の「シュンカネ節」は,地理的,文化的に近い関係にある沖繩から移入された可能性は強い。しかし,その元は本土であったということになる。

(5)「数え歌」(奄)

 本稿,1の(5)で扱った「忠臣蔵」も含めて,奄美には3種類の「数え歌」が認められる。
 この数え歌では,明治以降の事件を歌ったものが何種類か採集されているが,次の数え歌は現瀬戸内町西古見の池堂といわれる浦で鰹釣りの船が嵐のため遭難して多くの穣牲者を出した事件が歌われたものである。

「数え歌」(瀬戸内町油井)〈瀬戸内574頁〉

ひとつとせ
ひとゆんままさゆん
からだむっち
かつをとりしゅむち
めいおとち
ソラめいおとち

ふたつとせ
ふたたびみりゃらん
よのなかで
よんじゅにんがためしゅむち
めいおとち
ソラめいおとち

一つとせ
人よりも勝る
体持ち
鰹を採ろうと
命を落とした
(5句目反復)

二つとせ
再び見られない
世の中で
40人の為と思って
命を落とした
(5句目反復)

*『瀬戸内町誌(民俗篇)」には,歌われ方が記されていないので,確認の上実際の歌われ方を書き加えた。斜体の部分がそうである。
 以下,10数番続く。
 58585調歌詞で,実際の歌では末句を繰り返す。
 奄美に生まれた古い数え歌があったとは考えられず,本土系とみなすのが妥当といえよう。詞形その他の細目は,後の項目で問題とする。

(6)「砂糖作り歌」(徳)

 これも数え歌である。今日,徳之島にのみに伝わるこの歌は,島民に砂糖作りを勧める歌として,詞は誰かによって作られたものと考えられるが,曲はもともと鹿児島本島にあった数え歌であることがあきらかである。

「砂糖作り歌」(徳之島町母間)〈小川b 170頁>

ひとつののえのえ
ひとぬたからや
さたつくり
まめくめしなむち
のぞみしで
とらしょんかいな

一つとのえのえ
人の宝は
砂糖作り
豆,米,品を持つのは
望み次第
取らそうかいな

 以下,875857調歌詞が数番まで続く。
 同じ数え歌でありながら,前項の奄美大島の「数え歌」とはかなりの隔たりがある。
 最終句「とらしょんかいな」をみれば,1の(5)にあげた八月踊り(喜界島)の「忠臣蔵」と異名同曲であることに気付かれるであろう。本土系民謡であることはいうまでもない。

(7)「数え歌」(沖)

 「南日本民謡曲集」に記録された沖永良部の「数え歌」は,これまであげた2種の数え歌とは,同一曲種とは認められない。

「数え歌」(沖永良部島)〈久保楽譜139頁>

ひとつひとぴと ききみそり はしらとたのむ にさんが おくにのために ぐんじんに いじゃびたん

−つ人々 聞いて下さい 柱と頼む 兄さんが お国のために 軍人に 行ってしまった

 記録されているのはこれだけであるが,7574755調(3句目4音は字足らず)という特異な詞形である。これも前項と同じ理由で本土系とみなされよう。

(8)「行きゅんにゃ加那節」(奄),「いんみやんみ節」(奄)など

 いずれも島の人気曲で,これらが本土系の民謡であることにはほとんど気付く人はいないようである。

「行きゅんにゃ加那節」(奄美大島・瀬戸内町諸数)〈大観(奄美) 579頁〉

いきゅんにゃかな
わきゃくとぅわしぃりぃてゐ
いきゅんにゃかな
なきゃくとぅうめばや
いきぐるしゃ
ソラいきぐるしゃ
(ソラいきぐるしゃ)

行ってしまうのですか,加那(恋人)
私のことは忘れて
行ってしまうのですか,加那
あなたのことを思うと
行くのが苦しい
(5句目反復)

「ゆん目やんみ節」(奄美大島・瀬戸内町諸数)〈大観(奄美) 579頁〉

いんみぃやんみぃ
みぃはなやきりぃたん
いんみぃやんみぃ
なばんがさいじゃちゅてぃ
からしゅゆかでゐ
ソラからしゅかでゐ

いんめ兄さん
目鼻が切れた(くずれた)
いんめ兄さん
南蛮瘡(梅毒)が出て
からしゅ(塩辛)を食べたから
(5句目反復)

 この2曲が,歌われている中味が全く違っていながら,異名同曲であることは多くの人が気付いている。2つを並べてみるとき,58585調に近いもので,最終句が繰り返されて歌われる点でも一致している。問題のもう1つは,58585調の8音である。奄美,沖縄民謡の基本的詞形である8886における8音との関係が当然考えられるが,実際は全く異なる。58585調の8音は,「わきゃくとぅ・わしぃりぃてゐ」「なきゃくとぅ.うめばや」「みぃはなや・きりぃたん」「なばんがさ・いじゃちゅてい」のように4+4の8音でありるのに対し,8886調の8音は,「きよぬ・ほこらしゃや」「いつよりも・まさり」のように3+5,ないし5+3の8音なのである。
 ここで,4+4の8音をみてみるとき,わが国平安時代の歌本「梁塵秘抄」の今様から現行民謡(特に数え歌)まできわめて多くの例をあげることができる。

「梁塵秘抄」359番*16 遊びを・せんとや 4+4
生れけむ
戯れ・せんとや 4+4
生れけん
遊ぶ.子供の 3+4
声聞けば
我が身・さへこそ 3+4
ゆるがるれ

「銚子大漁節」(千葉県民謡)〈民謡事典330頁〉
一つとせ
いちばん・づつに 4+3
積み立てて
アーコリャコリャ
川口・押し込む 4+4
大矢声
この大漁船
アーコリャコリャ

二つとせ
ふたまの・沖から 4+4
戸川まで
つづいて・寄りくる 4+4
大鰯
この大漁船

 時に7音も出てはくるが,4+4の8音が少なくはない。以上のように,詞形からみるだけでも本土系民謡といってよいものだが,ではこれらの歌の元となったものが具体的に見出せないのか,ということになる。これは,島の人もすでに気付いていることであるが,(4)にあげた奄美大島の「数え歌」がそうだと私は考えている。
 ここに,2つの歌を左右に記してみよう。

ひとつとせ
ひとゆんままさゆん
からだむつち
かつをとりしゅむち
めいうとち
ソうめいうとち

いきゅんにゃかな
わきゃくとぅわしぃりぃてゐ
いきゅんにゃかな
なきゃくとぅうめばや
いきぐるしゃ
ソラいきぐるしゃ

 このことから分かることは,相方ハヤシは別として,ともに共通の曲(節)で歌えるということである。つまり,この2曲は異名同曲の可能性がきわめて強いといわなければならない。
 そこで次に,「行きゅんにゃ加那節」「いんみやんみ節」の58585形5句体歌詞の成立を考えてみたい。
 もともと「ひとつとせ」に続く8585綱歌詞が,数え唄である必要がなくなったとき,その2句目の文句(5音)を頭にもってきたのではないかということである。

(9)「くるだんど節」(奄・喜・徳),「ちょうきく女節」(奄・徳),「いそ加那節」(奄),「取ったん金くゎ」(徳)など

 前項にあげた「行きゅんにゃ加那節」「いんみやんみ節」と共通する歌詞が歌われる曲がある。それぞれがどういう関係にあって,どのように出来上がった歌かはまだよく分かってはいないが,ここにそれぞれの歌われ方をあげておく。

(1)「くるだんど節」(奄美大島・瀬戸内町諸数)〈小川 195頁〉

ハレイはれよふれ
ハレイしりゃほやまきゃまきゃ
はれよふれ
ヨーハレーしらほやまきゃまきゃ
はれよふれ
(ナツカシミコエヌ チョンナマイジテ)
ハレイむどしなゆめ
ハレイくるしゅやぬりじゃいし
むどしなゆめ
ヨハレーくるしゅやぬりじゃし
むどしなゆめ

走れよ,船
白帆を巻き巻き
走れよ,船
(2句目反復)
(3句目反復)

戻せようか
黒潮に乗り出しては
戻せようか
(5句目反復)
(6句目反復)

 585・585調(ABC・DEF6句体)歌詞のBC・EFが反復されているのが特徴である。585調(ABC)のAの文句とCの文句が同じため.CはAの反復ととられかねないが,意味上,BCの文句が先にあって,AはむしろCの反復であることが分かる。従ってここでは,ABCを3句体とみなすこととした。以降,この形のものはこれに習うものである。
 またこの歌は上の句,下の句同じ旋律で歌われるのも特徴である。

(2)「ちようきく女節」(奄美大島・宇検村湯湾)〈小川a196頁〉

エイ一ちょうきくじょ
だ−ちがいもゆる
ちょうきくじょ
ヨーハレだ−ちがいもゆる
ちょうきくじょ
(ヨーハレだ−ちがいもゆる
ちょうきくじょ)
だっきょとりが
いきょもはてかち
だっきょとりが
ヨーハレいきょもはてかち
だっきょとりが

ちょうきく女(人名)
何処に行くのか
ちょうきく女
(2句目反復)
(3句目反復)


らっきょ取りに
伊予茂の畑に
らっきょ取りに
(5句目反復)
(6句目反復)

 この歌は,地域によって「昔くるだんど」とか「早くるだんど」というところがあり,「くるだんど節」の古形であるといってよいだろう。
 この歌詞では575・575調になっているが,585・585調歌詞も歌われる。1音を伸ばすなどして調整しているわけである。これも上下同一旋律である。

(3)「うっしょばる風ちょうきく」(徳之島・徳之島町亀津)〈小川b 197頁〉

ハレもいだかさ
ハレふーだにもいぐゎぬ
もいだかさ
ハレふーだにもいぐゎぬ
もいだかさ
ハレうとだかさ
ハレふくみしゅまんぐゎた
うとだかさ
ハレふくみしゅまんぐゎた
うとだかさ

盛(小高い丘)の高さ
大谷盛ぐわの
盛の高さ
(2句目反復)
(3句目反復)
音(評判)の高さ
ふくみ主(姓)とまんぐわた(女性名)
音の高さ
(5句目反復)
(6句目反復)

 曲名から奄美大島の「ちようきく女節」の流れであることが分かる。これも上,下同じ旋律で,575・585調が歌われているが,音数は7音を伸ばすことで調整している。歌詞反復も前の2つの歌と変わらない。

(4)「いそ加那節」(奄美大島・宇検村生勝)〈小川b 198頁〉

うめにししゅ
だ−かちがうもゆる
うめにししゅ
ソラガヨイヨイうめにししゅ
(ソラガヨイヨイうめにししゅ)
はなくれがヤーレ
いそかなはかいじ
はなくれが
ソラガヨイヨイはなくれが

梅仁志主(男性名・尊称)
何処にいらっしゃるのか
梅仁志主
(3句目反復)
花を呉れに
いそ加那(女性名・愛称)墓に行き
花を呉れに
(6句目反復)

 585.585調歌詞で,上,下同一旋律である

(5)「取たん金ぐゎ」(徳之島)〈久保楽譜 127頁〉

とゥたんかねぐゎヤーレ
んたやまなしぐゎが
とうたんかねぐゎ
うちちなちヤーレ
んたやまさどぅとぅなん
うちちなち

儲けた金ぐわ(接尾語)
んたやま(場所)のなしぐわ(人名・愛称)
儲けた金
うち散らした(散財した)
んたやまさどうとう(地名)で
散財した

 585・585調(「たん」「なん」を1音みなす)で上・下同一旋律である。
 以上より,(1)(2)(3)は異名同曲といってよいものであり,(4)と(5)とは別曲である。
 これらの歌の前に,「数え歌」があったのか,なかったのか,それが一番の問題だが,不明である。
 これらの詞形から本土系ということには誤りないものと思う。

(10)「五尺ヘンヨー」(与)

 与論島では,非常に親しまれたシマウタの一つである。

「五尺ヘンヨー」(与論島)〈大観(奄美)703頁〉

ぐしゃくヘンヨークヌてぃぬぐいや ソレ
ぐしやくてぃぬぐいや ソレ
なかにまたんすみてぃ
ササ ヨイヨイ

すみもぬヘンヨークヌすみたしが ソレ
すみもぬすみたしが ソレ
むらさきいろすみてぃ
ササ ヨイヨイ

五尺手拭は
(1句目反復)
中にまた染めて


染めもの染めたが
(1句目反復)
紫色染めて

 「五尺手拭」の歌詞は全国に知られた歌詞で,江戸期の歌本にも出てくるものである。それは以下に示すように7775調であるが,この歌では8888調に近いものになっている。(この本では,上の句,下の句それぞれ独立した歌詞とみなしているので,正確には1番も2番も89調2句体である)
 歌唱法の1つの特徴は,「五尺ヘンヨー手拭」のように,8音の句の間にハヤシコトバが入ることである。

「五尺節」(鹿児島本土・串良町)〈大観(九州)385頁〉

ごしゃくコノヒヨてぬぐい
ごしゃくぬぐい
なかそめた
サドッコイサ
そめもコノヒヨそめた
ようそめた
なかむらさきに

五尺手拭
(1句目反復)
中染めた


染めも染めた
よう染めた
中紫に

 「ヘンヨークン」と「コノヒヨ」ではかなり異なりはするが,入り方は全く同じである。実は,この部分は「イヨコノ」というコトバが入るところが全国的に多く,元禄頃のはやり歌であったことも知られている〈民謡事典64頁〉。
 ここでは,江戸期の歌本「落葉集」に載っている「五尺手拭」をあげておきたい<民謡事典194頁〉。

五尺いよこの手拭
五尺手拭
中染めて
俺にいよこの呉りょより
俺に呉りょより
宿に置け

まとめ

 以上,18項目にわたり奄美の本土系民謡をあげてみた。中には,いくつもの条件に合致していて,はっきりと分かるものがある反面,文字化した資料から,本土系とは想像すらできない歌もあった。私も未だ確実な証拠をつかんでいるわけではないが,これからの研究に期待を込めてあえて記しておくこととした。
ところで,私たちが注意しておきたいのは,たとえ本土系の歌であることが明らかになったとしても,歌自体の価値はけっして減じないということである。その発端はともあれ,すっかり奄美の歌になって伝承されているということが,価値あることなのである。かねてからの私の印象であるが,歌の系譜調べは,らっきよの皮剥ぎに似ている。皮剥ぎの行く着くところは,仕事のさいの掛け声であったり,子守歌であったり,外来のはやり歌であったりする。しかし,それにいくぶんでも奄美的要素が加えられて伝承されていたとすれば,それは全く奄美の財産といって間違いではないのである。
 ともあれ,本研究を通して,奄美の民謡が想像以上に本土の影響を濃厚に受けていることを認 識することとなった。('09.1.12)


*1 「奄美のドンドン節」(日本歌謡学会刊「日本歌謡研究10号」1970年所収),「奄美沖縄におけるヨンナ系ハヤシ調の歌謡」(沖繩文化協会刊「沖縄文化33.34合併号」1971年.所収)など。
*2 民謡は一般庶民の歌という考え方から,芸謡,神歌などを民諦には入れない研究者もいる。
*3 奄美にはもともと「童歌」というコトバはなく。「ワラベユンゴト」などといわれる。
*4 奄美の芸能は,多く年間行事と密接な関係をもっているので,芸謡といいきるには無理がある。
*5 神歌は,ノロといわれる女性司祭者やユタといわれる民間の巫者によって伝えられてきた神祭りのための歌を指す。口説は,一般の人にも歌われるが,一連の出来事や島の風物などが歌われている。
*6 島々によって異なるが,例えば奄美大島では,アラセツ,シバサシ,ドンガなどという祭り日がある。
*7 八月踊りは集落単位の踊りで,集落の広場で踊る所や,家を一軒一軒訪ねてそこの庭で踊る場合がある。
*8 〈民謡時点 368頁〉「投げ歌」の項など参照
*9 沖縄の「チョンダラー」といわれる本土渡来の芸能にも「口説」があり奄美にもその流れが入ってきた可能性が高い。
*10 「諸鈍芝居」は,加計呂麻島の諸鈍集落に伝わる国指定の民俗芸能であるが,この芸能の始まりに,出演者が歌を歌いながら楽屋に入ってくる。この道行きを「楽屋入り」という。
*11 ハツブロ,タネオロシ(いづれも稲籾の種蒔きを意味する)などといい,旧8月から10月にかけての庚申の日に行う集落が多かった。
*12 直径3,40センチほどの木製の枠の両面に,山羊や牛の皮を張った太鼓。「チジン」というのは,「鼓(つづみ」)の訛りである。
*13 「六調」という名称については,諸説あるが定説はない。
*14 「奄美民謡大観」(文潮光著 自家版 1933年)に,糸取り所は現奄美市名瀬の観音寺の隣にあって,各間切(昔の行政区画)から若い男女が徴用され,仕事をしたと書かれている。
*15 1940年(昭和15),創元社から「創元選書47」として発行された。
*16 「梁塵秘抄」(西郷信綱著,ちくま文庫,1990年)19頁より引用
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Last-modified: 2013-01-25 (金) 11:29:12 (3108d)